よく「自分へのご褒美」なんて言いますが、今年は私も自分への「ご褒美着物」を買っちゃいました。なんだかんだでいろいろ自分にご褒美をあげているわけですが(笑)今回は5月に新潟は十日町への研修旅行のときに一目惚れした小千谷縮をお迎え。それがこの8月に仕上がってきました。
薄紫の大きめの格子柄で、和裁師さんが上手に柄合わせをしてくださったおかげで、脇に濃いラインが入り、ちょっと細見え。これがまた嬉しい! 小千谷で湯もみの工程などを見学させていただいたこともあり、愛着もひとしおです。大好きな皆さんとの旅行も楽しかったし、畳紙を開いてはニヤニヤ、閉じてはまた開いてニヤニヤ……。さて、いつ着ようかなと考えていたところ。
ちょうど子どもが8月で20歳を迎えたタイミング。「私もよく頑張ったなぁ」ということで、同じく8月生まれのお子さんがいるママ友と、子どもたちの誕生日祝い兼母たちのご苦労さん会を企画して、恵比寿にローストビーフを食べに行きました。
暑いし体力も落ちてるし、どうしようかな~と思ったのですが、せっかくなのでこの小千谷縮のしつけ糸を外して、初めて袖を通すことに。ディナーだったこともあって、暑さも落ち着いて過ごしやすく、ひさびさにゆったりと食事を楽しみました。子どもたちもすっかり大人になって、シャンパンとサングリアで乾杯。あの頃は小さな子どもを連れての外食は大騒ぎで、着物どころではなかったのに……本当に遠い昔のことになりました。
いや~、大きな節目を一つ乗り越えたな、という気持ちです。

そんな私の20年前の出産は、今思い出しても命がけでした。私は高齢出産で子宮筋腫の手術歴もあったため、帝王切開での計画出産の予定だったのですが、予定日の2日前に思いもよらない激痛が。夜中に緊急入院したところ、子宮破裂を起こしていたそうです。あとから夫に聞いた話では、当時「母体は生存確率2割、子どもは4割」と告げられていたとか。
幸いお医者さまたちの必死の処置で二度の手術を経て、一命を取りとめました。子どもも無事で、本当に奇跡のようでした。
輸血は8リットル。全身麻酔から覚めた時、人工呼吸器をつけられていて夜間だったためしばらく外せず、それがすごく苦しかった。外科病棟にいて、子どもと対面できたのは出産から3日後でした。元気な赤ちゃんですよと聞かされていたものの、自分の状態が悪くて会うことができず、本当に無事なのかなと不安でずっと泣いていたような気がします。
出産後も体力が戻らず、上京してくれた義母や母に助けてもらう日々。母子手帳を見たお医者さんに「ご本人ですか?」と驚かれるくらい、生きているのが不思議なほどの出産だったようです。実は私自身も、仮死状態で生まれ血まみれで24時間保育器に入れられていたそうで……。まさに九死に一生を二度味わった人生。改めて産婦人科に携わる医療関係者の皆さんへの感謝でいっぱいです。
「出産は病気じゃない」なんてよく言われますが、決して安産ばかりではなく、命を賭ける場面になることもある。身をもって実感しました。
今は子どももすっかり手が離れて、あとは学費だけが課題です(笑)。友人の中にはもうお孫さんが誕生した人もいて、私も次のステージに差しかかっているんだなぁと感じます。
この頃はもう友達もお孫さんが誕生している人も多く、私もさらに大人の階段を登ったんだな~としみじみしています。このコラムの担当さんにもお子さんが生まれて勝手にばぁば気分で話を聞かせてもらって幸せのお裾分けをしてもらったり。もうね~ほんとね!!赤ちゃんは天使ですよね!!
うちの子の未来は神のみぞ知るですけれど、若い頃インド人の占い師さんに「あなたは73歳まで働き、孫もできる」と言われたことがあります(笑)。それを聞いた時は「え~そんなに働くの~」と思ったけど、今は妙に現実味のある数字になってきました。
女の人生ってまあいろいろありますよね。人には言わなくても、それぞれが何かを乗り越えて生きているんだと思います。そして、ときどきご褒美がなければやっていられない。私にとって着物はそのご褒美であり、着るたびに気分が上がるし「これはこんな風に私のところに来たな」とか「あのとき着たものだな」などと思い出を呼び起こす装置でもあります。
この先のおひとり様人生も視野にいれつつ、これから先、あと何回着物に袖を通せるのかはわからないけれど、ハッピーな気持ちでまた着物に袖が通せるよう、日々を大切に積み重ねていきたいと思っています。