2015年4月掲載

いつ変わった?暮らしの中のきものあれこれ


すっかり春めいて、東京は桜が満開です。
大阪の皆様も今頃はお花見を楽しんでいらっしゃいますか?

実は私、結婚して間もないころ大阪・堺で暮らしていたことがあるんです。6年間くらいになりますかしら。
息子のお宮参りは住吉大社でした。
先日、おでかけ企画で心斎橋の皆様と住吉大社に初詣に行かせて頂いて、もう記憶はおぼろげですけれどやっぱり懐かしく、その頃のことをぽろぽろと思い出したりしました。

四十年近く昔ですが、茨城県出身の主人と結婚して、息子が生まれてすぐに主人の実家でお葬式があったんですね。
嫁入り道具の着物に喪服も用意していたのですけれど、なにせ乳飲み子を抱えてのことですから洋装の喪服にしました。
私は埼玉県の出身なのですが、地元では一番近い親族以外は皆洋服でしたし、別にかまわないだろうと。
 
そうしたら、弔問に来られる方全員、それこそ親戚はもちろんご近所の方まで全員着物姿だったんです。
当時、その地域ではそれが普通だったのですが、まあそのとき驚いたことったら。
それと、とっても印象に残ってますのが、喪服の下の長襦袢です。
普通は、必ず白を着ますでしょう。
それが、ときどきピンクやら色の付いたのをお召しの方がいらしたんですね。黒いお袖の内側のピンクが目に焼きついて、今でもふっと思い出します。それくらい、あり合わせでもとにかく着物ということだったのかしらと今になって思うのですけれど。

数年後、またお葬式がありました。そのときにはすっかり着物姿の方は見えなくなって、私の実家と同じように、ごく近い親族以外は皆さん洋装に変わっていました。
その数年間が、その地方で昔ながらの慣習が消えて、ぐーっと現代的に様変わりする転換期だったんでしょうね。昭和50年代始めころでしょうか。

そのすぐ後、主人の転勤で堺に引っ越しました。
そうしたら、奥さん方が、皆さん着物で普通に生活してらっしゃったんです。
関東から来た私は、またまたびっくりだったんですけれども、ほんとに普段着のウールなんかをさっと着こなして、自転車に乗って出かけるとなったら、さっと脱いで着物と長襦袢を重ねてハンガーに掛けておく。
帰ったら、またささっと着物姿に戻るわけです。
見てますと、筒袖の上っ張り、引っ張りとも呼ぶものを、着物の上に羽織っておられるんですね。きっと、その上っ張りで隠れるので、帯は簡単に半巾なんかをくるっと結んでいたことと思います。

それで、お掃除でも洗濯でも着物姿で当たり前に片付けちゃう。今の私たちからすると、掃除をするのに着物姿なんてと思いますけれど、思うに着物が一番あたたかい格好だったんじゃないかしら。
着物の下にいろいろ重ね着して、帯をしっかり巻いて。今みたいに新素材のヒートなんやらの肌着やダウンコートも無い時代ですものね。

それに、昔はもっと寒かったですよね。住吉大社の初詣、もちろん寒かったですけれど、お天気にも恵まれたせいかしっかり防寒して出かけたのに、あらっと拍子抜けするような温かさ。
お花見の時期もずいぶん早くなりました。「花冷え」なんて言葉も過去のものかというくらい、4月ともなれば袷の着物では汗ばむ日もありますね。
袷と単衣の微妙な季節や衣替えのお話は、来月改めて詳しくご紹介いたしますね。

ともかく、堺での6年間、周りはみ〜んな着物姿という環境で、もともと母も祖母も着物好きだった私の着物熱が、さらに盛り上がってしまって今に至るわけなのでした。

皆さんの周りで、着物姿の方が急に減ったなあと思われたのはいつ頃ですか?お若い方なら、もう物心付いたときには着物は特別な日のものだったかもしれませんね。
けれど、少し前まで着物は女性の暮らしの中に当たり前にあるものだったのですよね。
あの頃のように、とはいかないでしょうが、昔の人のラクに着る工夫なんかはぜひ真似して、気負わず着物を楽しみたいなと思うこの頃なのでした。

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